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文部科学省科学研究費補助金 「特定領域研究」 Newsletter No.3 (2006年8月号)より
GISと遺跡の立地調査法
松本 健(国士舘大学イラク古代文化研究所)
計画研究「西アジアにおける考古遺跡のデータベース化の研究:衛星画像解析による探査法」研究代表者
1、ユーフラテス川中流域における河川の変化

 ここに2005年の7月2日(Spot)に撮影された衛星画像のトレス図(図1)と1946年にゼノビア遺跡の調査の際に測量されたユーフラテス中流域の地図(図2)がある。これらの特に河川の変化を中心に観察すると、その変遷が観てとれる。この60年の間に起こった現象であるが、実質的にはこの地域のすぐ上流にベフメダムが1970年の初めに建設され、それ以後水量が調整され、洪水、氾濫などもなかったと思われる。したがってダム建設までの約25年間にこのような河川の変化があったと考えられる。この短い周期の中で、河川が氾濫を起こしたり、水路が変わったりすることを考えると、このユーフラテス中流域の農耕地として計画的に生産するという役割に疑問を抱く。
また氾濫原の耕地面積の狭い上に、仮に氾濫原を北側岸と南側岸に分割した場合、耕地はさらに半減することになる。河川の水量や流速にもよるが、対岸へ渡ることが困難な場合は耕地面積は減少することになる。そうした場合、特に南側岸の氾濫原における狭い面積を考えると、周辺との何らかの強い協力関係がなければ巨大な集落や都市は成立しないと思われる。その点、北側岸の地域は、背後の北部にはハブール、バリフ川や肥沃な三日月地帯を有することから、農耕地というよりはユーフラテス中流域の持つ地理的位置の経済的、政治的役割に時代とともに移っていったと思われる。上記これらは推測の域をでないため、この一帯の遺跡の分布を実際に調査して、ユーフラテス中流域と遺跡の関係、特に共通の研究テーマであるピシュリ山系の遺跡群とユーフラテス川との関係を調査したい。

図1 20050702(Spot)に撮影された衛星画像の
ユーフラテス川中流域のトレス図

図2 1948年にR.HAMELIN et J.LAUFFRAYによって測量された
ユーフラテス中流域

2、ユーフラテス中流域の広領域における農耕地の変化

 ここに1975年6月27日(Landsat MSS)(図3)、1983年7月12日(Landsat MSS)(図4)、1990年9月1日(Landsat TM)(図5)、2005年7月2日(Spot)(図6)の衛星写真がある。
これらの植生を調査するために近赤外線による解析をすると、植生の状況が赤色の濃淡で表現される。
これらを詳細に調査するには現地において、実際にどのような植生なのかを調査して、それがどのよううな色の濃淡を示しているのかを比較解析していく必要がある。ただし、今回はそれらを単に耕地として見た場合、どのように耕地面積が変化しているかを観察してみる。
ハブール、バリフ川流域の耕地が徐々に拡大して1990年には飛躍的に拡大したことが視てとれる。
特にバリフ川の上流域と下流域のラッカ周辺は耕地が拡大している。
ユーフラテス川の南側広域に関しては耕地としての利用はあまり拡大していないが、レサファ中心にワディでの耕地化が進められていることがわかる。
ただピシュリ山系における植生は少なくともこれらの衛星画像からは認められない。春4月頃撮影された衛星画像でどのような植生が観察できるか、併せて現地調査する必要がある。

図3 19750627にLandsat MSSで撮影されたユーフラテス川中流域の衛星画像

図4 19830712にLandsat MSSで撮影されたユーフラテス川中流域の衛星画像

図5 19900901にLandsat TMで撮影されたユーフラテス川中流域の衛星画像

図6 20050702にSpotで撮影されたユーフラテス川中流域の衛星画像