我々の主に研究しているのはユーラシア北方草原地帯の騎馬遊牧民である。具体的に言うと、黒海沿岸のスキタイ、ドン・ヴォルガ川あたりのサウロマタイ・サルマタイ、中央アジアのサカ、山地アルタイのパジリク文化の民族、中国の北の匈奴などが、それに相当する。彼らを西アジアのセム系部族の遊牧民と比べると、地域だけでなく、年代の上でも大きな差がある場合が多い。 そして更に重要なことは、スキタイ、サルマタイ、匈奴などの遊牧民は、騎馬を用いて遊牧を行なうことを始めたと考えられていることである。これにより現在までこの地域で行われている騎馬遊牧の原型ができたと考えられているのである。 ソ連の学界では1960年代に、これらスキタイなどの民族を初期遊牧民rannie kochevniki (earlynomads)と呼び始めた。それはスキタイなどの一定の民族・地域をその始祖あるいは代表にすることを避けた呼び方である。しかしこの呼び方は、セム系の遊牧民と比較を行う際には、いささか混乱を招くかもしれない。区別するために、ここでは我々のほうの初期遊牧民を「初期騎馬遊牧民」と呼ぶことにしよう。 初期騎馬遊牧民が生まれたのは、紀元前1千年紀の始め頃と考えられている。彼らの文化は、特色のある武器、馬具、そしてそれらを飾る動物紋様を共通の特徴としており、この種のものは、スキタイ、サウロマタイを初めとして、シベリア、中国の北まで、草原地帯の至るところに広まった。このような文化の起源について、1970年代頃までは、スキタイの西アジアへの侵入を契機として西アジアにおいて形成されたものと考える説が有力であった。しかし近年では、初期騎馬遊牧民文化の東方起源説が有力になってきたといってよいであろう。特に、1971.1973年に南シベリア、トゥバにおいて行われたアルジャン古墳の発掘が,その契機となっている。そこで出土した鏃や馬具は、型式的に黒海沿岸ではスキタイ文化以前に見られるものに相当する一方、完全に完成した形のスキタイ式の動物紋様も出土したからである。また中国北辺東部に分布する夏家店上層文化には、動物紋様など初期騎馬遊牧民文化に共通する要素が認められ、その年代が西周時代後期から春秋時代前期、すなわち黒海沿岸の先スキタイ期に相当することも明らかになってきた。このように草原地帯東方におけるこの時期の様相が注目されるようになってくると、また調査の比較的行き届いていないモンゴル高原の状況が問題になってくる。