ユーフラテス河流域ビシュリ山系とキルギスタン・ナリン高地遺跡群 |
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研究の学術的背景
今日まで、遊牧社会は文明社会に対抗する存在とみなされ、文明崩壊の引き金となる勢力として捉えられてきました。たとえば、紀元前2000年頃の西アジア地方ではセム系遊牧集団によるウル第3王朝の崩壊が広く知られていますし、東アジアでは、紀元前後の匈奴勢力と秦・漢王朝との対立・抗争がよく知られています。
しかしながら、このように「遊牧」と「文明」を対立させる見解は楔形文字や漢字資料を後世に遺した「文明」側の主観を反映しています。
紀元前2000年頃のセム系遊牧集団の実態解明をめざしてシリアで発掘調査と研究ををおこなった本研究のメンバーは、古文献の中で「アモリ系遊牧集団」と呼ばれていた人々が、1)農耕と牧畜を複合的に実施する半農半牧民であったこと、2)気候変動等の外的要因に応じて集団内部を農耕民、遊牧民、都市民などに分離/再統合するという柔軟性を有していたこと、そして、3)河川ルート沿いの物資流通に従事する交易民としての側面をも併せ持っていたこと、などを実証的に明らかにしました。
この研究成果は、西アジアに起源した都市「文明」の担い手の多様性を示すとともに、遊牧社会形成過程の研究が人類社会の発展にかかわる考古・歴史研究に大きく寄与することを示すものです。
そこで、研究の場を西アジアからユーラシア乾燥地域というより広い地域に拡張し、西アジアとの比較研究の具体的な調査地としてキルギス共和国を選択しました。 |
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