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文部科学省科学研究費補助金 「特定領域研究」 Newsletter No.7(2007年7月号)より
特定領域研究「セム系部族社会の形成」研究発表会 2006/10/22, 古代オリエント博物館
比較言語学から見たセム語の起源(Urheimat)
池田 潤(筑波大学大学院人文社会科学研究科)
計画研究「西アジアにおける都市化過程の研究」研究分担者
1. 先行研究

 セム語の原郷に関する19世紀までの先行研究はWright(1890)にまとめられている。これによると、19世紀にはメソポタミア起源説とアラビア半島起源説とが存在した。Wright自身は、当初メソポタミア起源説を支持したが、本書を執筆した1877年の段階ではアラビア半島起源説に傾いていた。

1.1. メソポタミア起源説

 Wright(1890:5−6)によると、Alfred von Kremerは1875年に発表した論文の中で、セム系の諸言語にはラクダという語があるため、セム人がまだ1箇所に住んでいた頃からセム語にはラクダという語があったと考えられる述べている。一方、ナツメヤシの木と実、およびダチョウという語はセム語にはなかったと考え、ラクダがいて、ナツメヤシとダチョウがない地域を探し、中央アジアがセム語発祥の地であったと結論づけた。

 イタリアのオリエント学者Ignazio Guidi は1879年に発表した論考“Della sede primitiva dei popoliSemitici”(セム人の原郷について)の中で、セム諸語における地形、土壌、季節、鉱物、動植物に関する語彙に基づき、次のように主張している。バビロニアはセム人が生活した最初の中心地である。原初のセム人はカスピ海の南部から南西部にかけての地域からの移住してきた。

  同年に発表された論文の中で、Fritz Hommel もvon Kremer やGuidi と同様、メソポタミア南部がセム人が最初に定住した地だという見解を表明している。

 Wright(1890:6)はこれらの説を次のようにまとめる。セム人はクルディスタンの山岳地帯を経てティグリス河に達した。ティグリスを超えたセム人はティグリスとユーフラテスの間の平野に定住し、そこから2波に分かれた。一波はシリアを通ってカナンに至り、もう一波はバビロニアからアラビア半島に入り、やがてアフリカへと渡った。
 

1.2. アラビア半島起源説

 Wright(1890:7−9)は自分自身はアラビア半島説によりひかれると述べた上で、4人の先行研究を引用する。まず、A. H. Sayce は1872年に著した『アッシリア語文法』の中で、「セム的伝統から見て、セム人の原郷はアラビア半島である」と述べている。また、Aloys Sprenger は『アラブ人の古地理』(1875)と題する書物の中で「あらゆるセム人はアラブ人の織りなす層ではないか」と述べ、Eberhard Schrader は1873年にZDMGに発表した論文の中で「宗教、神話、言語、歴史、地理の状況から考えて、アラビアがセム性の原郷ではないか」と述べている。さらに、Michael Jande Goeje は『セム民族の祖国』という書物の中で「山に住む者は平原に住んで遊牧民になったりしないが、遊牧民はたえず農耕民になっている。そうした移住者がシリアとバビロニアの先住民を北へと追いやり、メソポタミア全体(アフリカの一部までも)がセム化したのではないか。」と述べる。その上で、Wright(1890:9)は「私自身はSchraderとde Goejeと同じくアラビア起源説の立場をとる」と述べる。

 20世紀に入るとこのアラビア半島起源説は定説となり、Carl Brockelmann やHans Bauer らも次のように述べている。「アラビア半島はアビシニア人も含めたセム人の原郷と見ることができる。」(Brockelmann1908−1913:2)、「我々は現代の大半の研究者と同じくアラビア半島がこの(=セム人の)原郷であるとみなす。」(Bauer & Leander 1922:9)

 アラビア語は音韻的、文法的に最も保守的なセム語と言われるため、この説には一見説得力がある。しかし、この説に対しても問題点が指摘され、その後いくつかの対案が示された。ここでは、複数起源説(1.3)、アフリカ起源説(1.4)、シリア・パレスチナ起源説(1.5)の3つを紹介する。

1.3. 複数起源説
  •  Chaim Rabin(1963)は、アラビア半島から何波かの移民があったという当時の定説に疑問をもち、既存の言語間で言語的特徴が伝波したという対案を提示した。彼は次のような指摘をしている。
  • これらの言葉は移民によって生じたわけではなく、もともとそこで話されていた言葉の間に言語的改新が伝播し、等語線が形成されるというよくあるプロセスによって生じた。(p.105)
  • 移民があった場合、移民の「波」ごとに言語が鮮明な境界をなし、言語的特徴が地理とは無関係な分布を示す(中央と辺境の区別がなく、系統関係のある特徴がとびとびに出現する)ことが多い。(p.105)
  • それに対し、言語的特徴の伝播によって生じる言語地理においては、一貫性のある等語線が存在し、伝播の中央の見分けがつき、中央の言葉と辺境の言葉の間に違いが見られる。(p.105)
  • 単一の言語が移民の波によって別の場所にもたらされた結果、異なる「言語」が生じたのではなく、もともと一群の言葉が存在し、それらが共通の特徴を帯びるようになったことが明らかとなる。(p.115)
 Rabinの想定する中央はアラビア半島〜シリアで、周辺部は肥沃な三日月地帯(パレスチナ〜ウガリト〜メソポタミア)およびアフリカ大陸(エチオピア)の2つである。一般に中心は文化的・経済的に活発で、周辺部には古い特徴が残る傾向がある。

 Rabinと同様の立場をとる研究者としてA. MurtonenやLutz Edzard がいる。Murtonen は「単一のセム祖語は存在しなかった可能性が高い」と述べる。Edzard(1998)は系統樹説の単一起源モデル(monogeneticmodel)に疑問をもち、対案としてカオス理論による複数起源モデル(polygenetic model)を提示している。系統樹説では、8ページの図のように、単一の祖語(Proto-Semitic)から複数の言語が分岐し(WestSemitic とEast Semitic)、分岐した言語(West Semitic)からさらに別の言語(Central Semitic, エチオピア語,現代南アラビア諸語)が分岐したと考える。しかし、それには問題点もある。まず、系統樹説では言語数は時間の経過とともに幾何級数的に増えることになるが、それは事実に反する(むしろ、言語は減っている)。また、アラビア半島の人口はまばらで、半定住的であるため、移民を生み出す爆発的人口増加があったとは考えにくい、とEdzard は指摘する。



図1:カオスモデル(Edzard 1998)
 Edzardの対案は次のとおりある。図1のように、彼は初期状態としてカオスを想定し、それが収束(convergence)することによって語族が生じたと考える。すなわち、X-1、X-2、X-3... X-n の段階において各言語は無秩序に存在するが、言語接触によってそれらが共有する言語的特徴が増えると、X-1、X-2、X-3... X-n がひとつの言語グループとして同定されるようになるというのである1。Edzardの対案は次のとおりある。図1のように、彼は初期状態としてカオスを想定し、それが収束(convergence)することによって語族が生じたと考える。すなわち、X-1、X-2、X-3... X-n の段階において各言語は無秩序に存在するが、言語接触によってそれらが共有する言語的特徴が増えると、X-1、X-2、X-3... X-n がひとつの言語グループとして同定されるようになるというのである1


1.4. アフリカ起源説

 セム語とエジプト語の関係は19世紀から話題になっており(Adolf Erman など、詳しくはSatzinger 2002参照)、20世紀中頃にはセム語をアフロアジア大語族の一員と位置づける見方が登場した(Marcel Cohen,Joseph H. Greenberg, I. M. Diakonoff など)。この見方に立てば、セム語はアフリカ起源と考えるのがもっとも自然である。アフロアジア大語族に属する言語はセム語以外すべてアフリカの言語であるからだ。これを学説として最初に打ち出したのがI. Diakonoff(1965)である。当時、Diakonoff はセム・ハム祖語の原郷をサハラ地域と考え、アラビア半島説を否定した。この説への賛同者としては、前述のMurtonen(1967)2やChristopher Ehret らの名をあげることができる。


1.5. シリア・パレスチナ説

 最後に紹介するシリア・パレスチナ説は1960年にPelio Fronzaroli によって提案されたものである。Fronzaroli は先史学の成果に基づき、セム人の原郷は農耕の発達したシリア・パレスチナ地域にあり、遊牧生活はその後の成り行きであったと考えた。これを言語学の立場から検証したのがWitold Tyloch(1975)である。Tyloch はセム祖語に再建される語彙に基づき、セム人は当初から少なくとも一部は定住民であり、農耕に関する知識があったという結論に達している。この説を再評価したのが、Diakonoff(1998)およびDiamond & Bellwood( 2003) だと言える。Diakonoff は1998年に出版された論文で前述のアフリカ起源説を修正し、セム語の原郷をナイルデルタからパレスチナの間としている。Diamond & Bellwood はScience 誌に発表した論文の中で、次のように述べる。アフロアジア大語族は6つの枝なら成るが、そのうち5つが北アフリカに限定され、ひとつ(セム語族)は西南アジアにのびている。この分布からすると、アフロアジア大語族はアフリカ起源で、セム語はそこから西南アジアに広がったと考えるのが順当である。ところが、考古学的に確認される新石器時代以降の作物と家畜の流れはアフリカ発ではなく、西南アジア発なのである。そうだとすると、言語がこの流れに逆らって広がったというのは考えにくい3



2. 比較言語学から見たセム語の原郷

2.1. Linguistic Migration Theory

 Linguistic Migration Theoryとは、語族の下位分類(語派)とその地理的分布をもとに語族の原郷を探る方法で、その基本的な考え方は次の通りである。
  • Model of maximum diversity and minimal moves─語族が分岐していく際に、娘言語はもとあった場所の近くに残る可能性が高く、遠くまで移動したり、何度も移動したりする可能性は低い。(Campbell1999, p.105)
  • Center of gravity model─多くの上位語派が混在する地域がその語族の原郷である可能性が高い。
    (ibid.)
 この方法をセム語に適用し、セム語のcenter of gravity を探ってみよう。

2.2. 再建語彙から原郷を探る

 セム祖語の再建をおこなうと、再建された語彙の中から原郷に関する手がかりが見つかる場合がある。この方法は印欧語では19世紀中頃から試され、一定の成果を収めた。基本的な考え方は次の通りである。
  • 一般に同系の(ほとんど)すべての言語で偶然同じ語が借用される可能性は皆無に近い。
  • 一般に同系の(ほとんど)すべての言語で規則的に対応する語彙は祖語から引き継がれたと考えられる。一般に借用語は規則的に対応しない。
  • 一般に祖語に再建される語彙は祖語の話された地域の自然環境や文化を反映している。
 この方法をセム語に当てはめるには、まずセム祖語の語彙を再建する必要がある。上で述べたように、この作業はすでにTyloch(1975)によってなされている。しかし、それから30年以上の時間が経過しているため、Tyloch の研究は再検討を要する。個々の言語の語彙に関する情報が飛躍的に増えたこともあるが、最大の問題点はセム語系統樹におけるアラビア語の位置付けの変化である。1975年当時、アラビア語は南セム語に帰属すると考えられており、Tyloch もそれに従っているが、現在は北西セム語とともに中央セム語派をなすとされる。前提となる系統樹が異なれば、祖語の再建にも影響する。したがって、個々の語について再建をやりなおし4、その上で原郷に関する手がかりを探す必要がある。
 今回あらためて再建した語彙の一部を下にあげる。これらを見ると、セム祖語の話し手は地を耕し(1)、種をまき(2)、穀物をあおぎ分けていた(3)ことが分かる。作物には大麦(4)、小麦(5)、雑穀(8)があり、それをひいて(6)粉(7)にしていた。近くにクミンが生え、アーモンド、テレビン、イチジク、ナツメヤシ、ブドウの木もあり、実を食べたり、酒を作ったりしていた。(ハチ)ミツも食べた。また、ウシ、ロバ、ヒツジ、ブタ、ヤギ等の大小の家畜を飼っていたようだ。


 これらの語がセム祖語に存在するのは、セム語の原郷で農耕や牧畜がおこなわれていたからにほかならない。したがって、セム語の原郷はそれが可能な場所であったと考えられる。言い換えるなら、比較言語学から見るとビシュリ山系は「セム語族」の原郷ではなさそうである。無論、これはビシュリ山系がセム系一部族の原郷である可能性を否定するものではない。

参考文献
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