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文部科学省科学研究費補助金 「特定領域研究」 Newsletter No.2(2006年3月号)より
セム系遊牧部族の墓制に関する比較研究 
藤井純夫(金沢大学文学部)
 セム系部族社会の形成過程を墓制面から追跡すること。それが、本研究班に与えられた課題である。そのために選択したフィールドが、シリア北東部のビシュリ山系とヨルダン南部のジャフル盆地である。バーディアト・シャーム(広義のシリア沙漠)の南北両端に位置するこの二つの地域で、初期遊牧民の墓制変遷を定点観測すると同時に、周辺地域における広域踏査をも併せて、セム系遊牧部族社会全体の成立経緯を明らかにしたい。
ビシュリ山系での調査の立ち上げが諸般の事情で遅れたため、本年度は、周辺比較対象地域の踏査を先行実施した。都合により、踏査は二回に分けて実施した。

オマーンにおける青銅器時代円塔墓群の踏査

 平成17年11月16日から同年11月27日にかけて実施した。バット(Bat)、ワディ・ギズィ(Wadi Jizi)など、オマーン国内における主要な青銅器時代円塔墓群を踏査し、基本的な遺跡データを収集した。円塔墓に着目したのは、この墓制が、南(西)セム語集団の形成に関わっていると仮定されるからである。その流れは、シナイ半島南端部からサウジアラビア西部、イエメンを経て、オマーン、エミレーツ東部にまで及んでいる。今回の踏査では、その一端をオマーン国内で観察・記録したことになる。まだまだ先は長いが、第一歩を踏み出せたことが本踏査の成果である。

バーレーン、カタール、エミレーツ、ヨルダンにおける青銅器時代墳墓群の踏査

 平成17年12月20日から平成18年1月10日にかけて実施した。バーレーンではアアリ(’Ali)、ブリ(Buri)、サアル(Sa’ar)、カタールではウンム・サラール・アリ(Umm Salal Ali)、ウンム・アル・マア(Umm al-Ma’)などのシスト墓群を、エミレーツではヒリ(Hili)、ジャバル・ハフィート(Jabal Hafit)などの円塔墓群を、またヨルダンではエル・アデイメ(el-Adeimeh)、フェイファ(Feifa)、エン・ナケー(en-Naqe)などのシスト墓群、ダーミヤ(Damiya)などのドルメン群を、それぞれ踏査した(図1、2)。
図1 アアリのシスト墓群(バーレーン、筆者撮影) 図2 ジャバル・ハフィートの円塔墓群(エミレーツ、筆者撮影)

バーレーン、カタールのシスト墓については、東セム語集団の墓制からの影響と仮定しているが、詳細はまだ不明である。今回の踏査は、基礎資料の収集に止まった。エミレーツの円塔墓は、オマーンのそれと同系で、南(西)セム語集団を特徴づける円塔墓文化の最遠端の事例と考えられる。しかし、詳細に観察すると、型式・立地などの点でオマーンとの地域差が介在することが分かった。
ヨルダンのシスト墓は、北西セム語集団の形成に関わると仮定される墓制であり、ジャフル盆地の従来の調査でもその出現時期が前期青銅器時代初期にあることが確認されている。今回の踏査では、ヨルダン渓谷におけるシスト墓の実態を探った。その結果、ヨルダン高原とは異質の、竪坑型シスト墓の存在が明らかになった(図3)。なお、これとほぼ同時期と考えられているドルメン・メンヒルについては依然として不明な点が多い。シスト墓の一形態と見なし得るならば北西セム語集団の墓制の一つと言うことになるが、それとはまったく別系統とも見なし得る。
その場合は、北西セム語集団に先行する集団(あるいは北方からの別の動向と対応する集団)の墓制ということになるであろう。これは今後の検討課題である。
  図2 ジャバル・ハフィートの円塔墓群(エミレーツ、筆者撮影)

  なお、ヨルダンを除く上記各国では考古局を訪問し、近い将来における調査の可能性を探った。いずれの場合も好意的な返答を得た。特にオマーンやカタールでは具体的な条件の提示も受け、全面的な協力の確約を得た。将来の調査が楽しみである。


まとめ

 沙漠に埋もれているマルトゥやアモリたちの足跡を墓制面から具体的に追跡すること---その第一歩がようやく踏み出された。本年度の活動は、当面の作業仮説を策定すること、これに関わる基礎的な遺跡データを収集すること、の2点に集中したが、次年度からはビシュリ山系およびジャフル盆地での本格的な調査に入りたい。これと平行して、イエメン、レバノン、サウジアラビアなどの踏査も、引き続き実施する予定である。