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文部科学省科学研究費補助金 「特定領域研究」 Newsletter No.5(2007年1月号)より
テル・タバンの粘土板文書が出土した土器窯
沼本宏俊(国士舘大学体育学部)
計画研究「北メソポタミアにおけるアッシリア文明の総合的研究」研究代表者
 
図1 テル・タバン(西側発掘区)
本計画研究では、研究遂行の一環としてテル・タバンの発掘調査を2005年度から実施している(図1)。テル・タバン(約300×350m、高さ約25m)は、シリア北東部のハッサケ市の南約30km、ユーフラテス川の支流、ハブール川の中流域にある。同遺跡は古バビロニア時代(前19-18世紀頃)のマリ文書や中期・新アッシリア時代(前13〜11世紀頃・前9-7世紀頃)の首都アッシュールやニネヴェ出土の文書に登場する同流域の統轄拠点として繁栄した古代都市“タバトゥム/タべトゥ”に古くから比定されている遺跡でもある。タバンでは1997年の調査で、古バビロニア時代から新アッシリア時代(前2〜1千年紀)にかけての連続した層序が確認されており、本研究を遂行するうえで最適の遺跡である。

 2005年の冬季調査では中期アッシリア時代の王宮跡の文書保管庫から大量の中期アッシリア時代(前13〜12世紀)の粘土板文書が出土し、日本の調査隊初の大規模な粘土板文書の発見と日本人の手による初の本格的な解読の始まりとして、研究成果が国内外で注目されている(沼本 2006a,b;柴田・山田 2006; 山田・柴田 2007)。さらに、同年の夏季調査と2006年度の調査では、古バビロニア時代(前18世紀後半頃)の生活層と粘土板文書が発見され、タバンは同時代から既にハブール川中流域の要衝であったことが明らかになった。2005、2006年度の調査成果は、未だ不明瞭な北メソポタミアの前二千年紀の実体を解明するうえで有効な新資料になるのは確実である。

 2005、2006年の調査で特筆すべきは、土器窯を発掘し計24点の古バビロニア時代の粘土板文書が出土したことである(沼本 2007、2006a,b)。ハブール川中・下流域の発掘調査で、古バビロニア時代の粘土板文書が発見されたのは、これが最初で欧米調査隊はその記述内容に注目している。粘土板文書が土器窯から出土した発掘例もなく貴重な資料であるといえ、土器窯と粘土板文書の出土状況について簡単に報告したい。

粘土板文書が出土した土器窯

図2 発掘した土器窯(2005年)
 2005年夏、遺跡の西側侵食部の崖セクション直下で確認した焼土堆積層を発掘した結果、土器焼き窯の一部を検出した(図1,2)。2006年の調査で窯は方形で東西3m、南北2mであることが判明した。窯壁は日干煉瓦造で厚さ約60〜80p、残高は最も良好な部分で約1mを測るが、北壁と南壁の東半は上層からの掘り込みで破壊されており残存しない(図2、7,10)。西壁に幅約60cmの焚口があり、2005年夏季調査では焚き口部付近の窯内のガチガチに焼けクリーム色、ピンク色をした窯壁の崩れの中から10点の焼成された粘土板文書が出土した。 これらの粘土板文書のうち3点は、幅17pの大型語彙文書(初級文字表)の破片で(柴田・山田 2006)、1点は良く焼けており保存状態は良いが(図3,4)、他の2点は脆弱で遺存状態は非常に悪い。これらの3点は同一個体であった可能性が強い。7点は小型(7〜4p角)の完形品であった。最も注目すべきは、7点の粘土板文書は壊れた広口の甕とともに出土しており(図5,6)、5点は甕の内部に納められた状態で出土した(図6)。恐らく重要文書を長期保管する目的で甕の中に入れ焼成したと思われる。解読結果、これらの文書には古バビロニアの楔形文字が刻まれ前18世紀後半頃に年代付けられ、7点の粘土板文書のうち4点は書簡であったことが明らかになった(柴田・山田 2006)。

図3 出土した粘土板文書 図4 出土した粘土板文書
図5 甕とともに出土した粘土板文書 図6 甕の内部から出土した粘土板文書
 2006年夏も同窯の継続調査を行い、埋積土から計14点の粘土板文書が出土した(図7〜12)。
図7 発掘した土器窯と出土した粘土板文書(2006年)
図8 出土した封筒入り粘土板文書
 これらの中で最も注目すべきは、封筒入り粘土板文書で、前年度に掘り残していた北壁部の長さ約1m、幅約60p、厚さ約70pのガチガチに焼けた窯壁の崩れの堆積から出土した。粘土板文書は完形(長さ11.5p、幅6cm、厚さ約2p)で、壊れた粘土製の封筒に半分ほど入った状態で出土した(図8)。

図9 封筒入り粘土板文書

文書、封筒ともに良く焼成されており明褐色を呈していた。封筒は復元の結果、全体の約3/4が残存し、長さ約13p、幅約7pで、裏面には文字は刻まれていない。粘土板の包み方と製作工程が良くわかる類例のない貴重な資料である(図9)。
この封筒入り粘土板文書の直下からは、大型広口甕の約1/3破片が出土したことから(図7)、この粘土板も前年度出土した粘土板文書群と同様に、甕に収め長期間保管するために焼成されたと考えられる。この封筒入り粘土板文書の発見は、2006年12月7日の朝日新聞朝刊文化面に写真入りで掲載された。この粘土板文書の解読は筑波大学の山田重郎氏により行われ、文書はユーフラテス川流域にあるテルカの王が、タバンの領主に宛てた土地や家屋を下賜する契約が記された書簡であることがわかった。他の粘土板文書は7p角以下で、7点は窯の中央部から奥壁(東壁)よりの床面上に堆積した焼土の約30×20pの範囲にまとまって出土しており(図10,11、12)、この一群も甕もしくは籠に入れられ焼成された可能性を示唆している。解読にあたった同氏によれば、これらの文書は前年度の文書と同じ古バビロニア時代後半のもので、大半が書簡であることがわかった。解読も徐々に進んでおり記述内容も明らかになりつつある(山田・柴田 2007)。
図10 発掘した土器窯と出土した粘土板文書(2006年) 図11 出土した粘土板文書群
図12 土器窯から出土した古バビロニア時代の粘土板文書
 窯の床面からは小型土器、テラコッタ製女性裸婦像、ブロンズ製リング・槍先、土製ビーズ、坩堝、砥石、臼石、埋甕等が出土した。こうした証拠から窯は最初、小部屋として利用され、後に土器窯に改造されたと推測される。土器窯の北東部を拡張し発掘したところ、窯の西壁は北側の石膏容器が据え付けられ、灰が堆積した床をもつ部屋に連続していたことから、この一帯は同時代の工房区であったことを示唆している。

研究成果と意義
 粘土板文書の多くは書簡で、中には年月日が記載された文書も認められることから(山田・柴田 2007)、土器窯から出土した同時代の各種土器の精確な年代を提示することが可能になった。したがって、タバンは中期アッシリア時代のみならず、古バビロニア時代の編年構築や土器研究の際の標準遺跡になるは確実である。窯と同時代の生活層はテルの北側の1997,8年に発掘したトレンチや西側浸食部の全てのトレンチで認められ、中期アッシリア時代の占住域よりも広範囲に及んでいたことが明らかになった。

 これまでの研究では前18後半〜17世紀のハブール川流域が、一体どこの勢力下にあったのか全く判然としなかったが、上述の封筒入り文書の記述からタバンの所在するハブール川中流域は、南のユーフラテス川流域のテルカの配下にあったことが明らかになった。闇の時代の解明に向けて、新事実と新資料を提供することができたという点で、画期的な調査成果であることを特筆したい。さらに、土器窯出土の粘土板文書の解読成果から(山田・柴田 2007)、テル・タバンは古バビロニア時代のマリ文書に登場するハブール川中流域の統轄拠点“タバトゥム”であったことを実証した点は、2006年度の調査では最大の成果である。

 テル・タバンは、地理的にもセム系民族アムル人の源郷であるビュシュリ山系から北東約120qの地点にあり、両地域は水系こそ異なるが有史以来、同一の文化圏に属し密接に関係している。テル・タバンの調査で発見した中期アッシリア時代と古バビロニア時代の粘土板文書の解読が更に進み、文中にアムル語系の人名、地名等が登場すればアムル人の勢力・移動範囲や拡散過程を知るうえで大きな手掛かりになる。楔形文字資料の発見と解読成果が、アッシリアと同じセム系民族アムル人の源流と特質を探求するうえで最も有効であることは言うまでもない。こうした面でも本研究計画班の成果は、「セム系部族社会の形成」の研究遂行に大きな貢献を成しつつある。
参考文献

柴田大輔、山田重郎 2006
「2005年テル・タバン出土楔形文字文書について」『今よみがえる古代オリエント』、第13回西アジア発掘調査報告会報告集:63−66.
沼本宏俊 2005
「シリア、テル・タバン遺跡」『考古学研究』52−2、考古学研究会編:109−111.
沼本宏俊 2006a
「シリア、テル・タバン遺跡の発掘調査(2005年)」『国士舘考古学』第2号:57−77.
沼本宏俊 2006b
「粘土板文書を発見!テル・タバン遺跡の発掘調査(2005年)」『今よみがえる古代オリエント』、第13回西アジア発掘調査報告会報告集:56−62.
沼本宏俊 2007
「粘土板文書を発見!テル・タバン遺跡の発掘調査(2006年)」『考古学が語る古代オリエント』、第14回西アジア発掘調査報告会報告集:122−127.
山田重郎、柴田大輔 2007
「2005 / 2006年 シリア、テル・タバン出土楔形文字文書」『考古学が語る古代オリエント』、第14回西アジア発掘調査報告会報告集:128−131.