本研究の概要
本研究の趣旨
調査最新情報
画像データ
お知らせ



 調査最新情報 
文部科学省科学研究費補助金 「特定領域研究」 Newsletter No.1 (2005年9月号)より
「シュメール文字文明」の成立と展開
研究代表者 前川和也(国士舘大学イラク古代文化研究所共同研究員)
 本研究では、前4千年紀末から2千年紀前半までのメソポタミア地域〈現イラクおよびシリア)においてどのようにして粘土板文字記録システムが成立し、各地にひろがっていったかが考察され、また文書にみえる言語と社会、国家構造の実相が明らかにされる。
  ウルク期最末期(前3100頃)、メソポタミア最南部でシュメール人によって文字記録システムが発明され、これは初期王朝期(前2900-2350頃)にはシリア各地で採用される。シュメールに北接する地域にはアッカド人が居住したが、このアッカド地域を結節部として、イラク、シリアの各地に粘土板文字記録システムが普及する。そこで本研究では「シュメール文字文明」あるいは「粘土板文字文明」という概念を採用して、メソポタミア地域を中核とする文明の特質をあきらかにする。各地でほぼいっせいに成立した都市社会で、現地書記はシュメールと同一文字体を用い、シュメール語専門用語を駆使して、大公共組織の管理・運営を記録したのである。そのためにシュメール語彙リストが参照され、一部ではシュメール語対訳辞書さえ生まれる。

1.本研究はウルク期末に成立し、ジェムデト・ナスル期に大発展するシュメール文字記録システム全体像の解明を目指す。
2.前2500-2350年頃にシュメール中・北部(ファラ、アブ・サラビク、ニップルなど)で成立した文書の研究を行う。
3.ほぼ同時代のシリア各地(テル・ベイダル、マリ、エブラ)でファラやアブ・サラビク文書と酷似した粘土板が発見されている。これらを利
  用してそれぞれの地域の社会構造をあきらかにする。
4.前24世紀中葉にアッカド王朝が「シュメール文字文明」世界を政治的に統合する。そこで各地の文書を比較しつつ、王朝によって、どの
  ように記録システムの統一化がはかられたかを研究する。
5.アッカド王朝の崩壊後シュメール人の統一王朝(ウル第3王朝)が成立するが、南部メソポタミアにはセム系アムル人が大量に定住す
  る。都市住民(シュメール人、アッカド人)とアムル人の相互交渉や都市民の牧民イデオロギーなどが研究対象となる。

 本研究は他領域とふかく関わる。遊牧文化の研究領域では、セム民族(アッカド人、アムル人など)文化の形成過程、彼らのメソポタミア地域への移住・定着などが扱われるからである。また都市形成過程の研究領域では、シリアでの都市化が考察されるはずであるが、この地域では南部メソポタミアのウバイド、ウルク文化が到来したために、都市化が進展したはずである。そしてウルク文化がおよんだ地域がのち「シュメール文字文明」圏となり、アッカド王朝によって統合される。またこの文明圏では、都市域に接して牧畜、狩猟世界がひろがり、都市はそれらの地域から多量の動物資源を手にしているし、都市民の社会組織じたいも周辺地域と密接に関連していたはずである。それが「シュメール文字」テキストにどのように記録されているであろうか。
 ここ20年シリア考古学が大発展をとげ、エブラ、テル・ベイダル、マリで出土した前3千年紀粘土板の研究も進みつつあるが、この世界を統合する視点は不十分である。「シュメール文字文明」圏という発想は、「漢字文明」概念に触発されている。わが国の研究者は、諸民族がシュメール文字をどのように使いこなしたかをよく理解できるはずである。