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文部科学省科学研究費補助金 「特定領域研究」 Newsletter No.4 (2006年12月号)より
西アジア乾燥地帯遺跡でのフローテーション法の実践 −ヨルダン南部、ワディ・アブ・トレイハ遺跡での例−
那須浩郎(総合研究大学院大学)
計画研究「西アジア先史時代から都市文明社会への生産基盤の変化に関する
動物・植物考古学的研究」研究分担者
 筆者は、遺跡から出土する植物遺物の分析研究を通して、過去の農耕や人々の食生活、遺跡をとりまく環境の復元に取り組んでいる。これまでは、主に日本や中国など東アジアの遺跡をフィールドに研究を行ってきたが、西アジアの遺跡での発掘調査は初めての試みであった。しかも、調査にあたった遺跡は、西アジアの中でも最も乾燥した砂漠地帯の遺跡である。本報告では、初めて西アジア考古植物学に取り組んだ筆者が感じた、東アジア考古学とのアプローチの違いや砂漠地帯でのフローテーション法実践について紹介したい。

 西アジア地域の考古植物学では、炭化した植物の遺物を対象に研究するのが普通である。乾燥地帯の遺跡土壌では、植物などの有機物は通常はすぐに分解されるが、炭化した植物片は保存されるからである。これは、東アジアの考古植物学研究とは大きな違いである。湿潤な立地に多くの遺跡が残されている東アジアの遺跡では、植物の遺物も保存されやすい。水分を多く含む土壌に埋積された植物片は炭化しなくとも良好に保存される場合が多い。土壌中が還元状態になるため、微生物による有機物の分解活動が弱まるからである。したがって、東アジアの遺跡では、必ずしも火の影響を受けることなく植物種子が保存されるのである。東アジア遺跡でよく注目される炭化米は、炭化した米であるが、必ずしも火を受けたものが炭化米になるわけではない。水分の多い土壌中で還元状態になると、自然に炭化する場合もあるのである。東アジア考古植物学では炭化、未炭化に限らず、植物遺物を集めるが、西アジアでは炭化した植物種子をいかに効率よく集めるかが、まず重要な視点となるだろう。
フローテーションシステムの模式断面図

  炭化した植物種子を効率よく収集する方法として、フローテーション法がある。フローテーション法とは、比重の軽い炭化物が水中で容易に浮かび上がることを利用した、炭化物と土壌との分離方法である。この方法は西アジアやヨーロッパを中心に古くから行われ、そのシステムも地域や研究者によって様々に工夫されている。ドラムカンなどの容器に水を貯め、それをポンプによって循環させることで水流を生み出し、下から上への水流によって遺跡土壌中の炭化物を浮遊させて篩別する方法が最も一般的である。

 今回、筆者が参加したのは、ヨルダン南部ワディ・アブ・トレイハ遺跡(隊長:金沢大学・藤井純夫教授)の発掘調査である。この遺跡は、年降水量50oほどの砂漠に立地する。そのため、西アジア遺跡の中でも最も水を手に入れるのが困難な遺跡の一つである。フローテーションには大量の水を必要とする。このような砂漠に立地する遺跡で、水を節約しながら効率よく炭化物を得るためにはどのようにすればよいか、これが本遺跡でのフローテーションシステム確立のための当面の課題であった。

  まず、フローテーションを行わないで炭化物を得る方法を試してみた。単純にフルイだけで遺跡土壌から炭化物を選別する方法である。これは水を使う方法と水を使わない方法の二通り試してみた。

簡易水洗篩別法
  水を使う簡易水洗篩別法は、タライに水を張り、その中に遺跡土壌を投入し、浮かび上がった炭化物を1oメッシュのフルイで掬い上げる方法である。使用する水はタライに水を張るだけなので、フローテーションに比べると格段に少なくて済む。この方法では、自然に浮かび上がる炭化物は比較的よく回収できた。ただし、マメ類やムギ類などの大型の炭化物は比重が重く、タライの水を攪拌しただけではなかなか浮かび上がらない。重要な作物炭化種子がタライの底に残ってしまうため、結局残渣の土壌をもう一度フルイにのせ、そこから同定可能な炭化物をピンセットで拾い上げた。この作業に時間がかかるため、1日に約4‐5リットルの遺跡土壌のみしか処理できなかった。しかも、水洗した直後の炭化物は大変もろくなっており、拾い上げる際に破損することが多かった。

 水を使わない簡易乾燥篩別法は、単純に遺跡土壌を直接1oメッシュのフルイで篩別する方法である。器具を洗う以外には、水をまったく使用しない。この方法でも細かい砂粒は容易に篩別できるが、1o以上の砂粒はフルイ上に残る。水洗篩別法と同様に、残った炭化物を拾い上げるのに時間がかかった。ただし、炭化物が水に触れてないので比較的しっかりしており、水洗篩別法とくらべると拾い上げは容易だった。この方法では1日に約6リットルの遺跡土壌を処理することができた。


 次にフローテーション法を試した。今回は、西アジア地域におけるフローテーションの実績がある、共同研究者の丹野研一の方法に従い、大容量タイプと小容量タイプのフローテーションシステムを製作した。

大容量タイプのフローテーション法
水を節約するため、流れた水をバケツで受け、
ポンプで再びドラム缶に循環させる
小容量タイプのフローテーション法
 この大容量タイプと小容量タイプの二通りを試した理由は、ワディ・アブ・トレイハ遺跡の水の少ない立地とサンプリングの特徴に関連している。すなわち、この遺跡では、部屋(Unit)ごとに確認された多数の炉の堆積物を網羅的に分析しようとしている。これは、当時の食生活を知るだけでなく、各部屋の利用形態の違いをも明らかにしようというねらいがあるからである。ところが、これらの炉の中に含まれる土壌サンプルは、多くが5リットル未満であり、サンプル数は多いが、サンプル1つあたりの体積が少ない。フローテーション法では、コンタミネーションを防ぐため、サンプル採取地点が異なるごとに使用する水をすべて交換するのが普通である。したがって、ワディ・アブ・トレイハ遺跡のサンプル群の場合、いくらポンプで水を循環させても水を大量に必要とする。ドラムカンを利用した大容量タイプのフローテーションシステムは、短時間で大量の土壌サンプルを処理できるが、水を交換する度に大量の水が必要になる。

 このような理由から、アルミ深底鍋を利用した小容量タイプのフローテーションシステムも併せて製作した。このシステムでは、5リットル以下のサンプルであれば、水交換なしで処理することが可能である。それ以上になると、水が混濁してくるので、水洗に時間がかかる。サンプル体積が5リットル以上であれば、大容量タイプを使用したほうが短時間で処理できる。この2つのフローテーションシステムを併用すると、1日に約40リットルの遺跡土壌を処理することができた。

 今回の調査では以上に紹介した4通りの方法(簡易水洗篩別、簡易乾燥篩別、大容量フローテーション、小容量フローテーション)を試したが、大容量フローテーションと小容量フローテーションを組み合わせて実施するのが最も効率がよいことがわかった。簡易乾燥篩別法は水を最も使わなくてよいが、大量の土壌を処理するには時間がかかりすぎる。ただし、対象遺跡でフローテーションを実施するかどうかの事前調査には簡便で役立つ方法だろう。本遺跡のように水の限られた遺跡では、通常の大容量フローテーションシステムだけでなく、小容量のシステムも構築して分析にあたるのが良いと思われる。

 このように、はじめて西アジアの遺跡でフローテーションを実践したが、少ない水を確保しながら大量の土壌を水洗しなければならない難しさを痛感した。ただし、水を節約するように工夫すれば、大量の土壌を短期間で水洗できるため、遺跡全体を面的に調査できる面白さがある。西アジアの遺跡では、保存される植物遺物が炭化物に限られるが、フローテーション法により大量の炭化物を回収することができるため、遺跡での食生活に関する情報を蓄積するのに有利である。また部屋ごとの利用形態の違いなども明らかにすることができる。その一方で、炭化した植物遺物は遺跡の中の炉やピットに集中するので、住居の周りの雑草や遺跡周辺の植生など、遺跡のまわりの環境に関する情報を復元するのは難しいと感じた。

 東アジアでは逆である。東アジアの遺跡の土壌は、重粘土質のものが多くフローテーションに向いていない。西アジアの土壌は砂質で水に浸すとサラサラと溶け容易に水洗できるが、東アジアの土壌は粘り気が強く、フルイを水の中で何度も上下させることでようやく水洗することができる。そのため、遺跡全体の、例えば部屋ごとの土壌を面的に水洗するというような分析には相当の時間と人手がかかる。ただし、堆積物あたりに保存されている植物遺物は多く、未炭化のものも含まれるため、特に環濠跡や溝跡の堆積物からは、遺跡周辺の環境をより詳しく復元することができる。今後は、西アジアと東アジアの遺跡での両方の経験を通して、遺跡全体の食生活、農耕、環境を網羅的に復元できる方法を探究していきたいと考えている。