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文部科学省科学研究費補助金 「特定領域研究」 Newsletter No.2(2006年3月号)より
セム系部族社会の形成に「環境学」を求めて
田中 剛(名古屋大学大学院環境学研究科)
 「環境」の2字がもてはやされて久しい。「環境問題」は、組織の、あるいは予算の、打ち出の小槌であった。しかし、環境“学”がいったい何を究めるのか?何を教えるのか? となると当事者ならずともはなはだ心もとない。わが環境学研究科はその一分野に“持続性学”という網をかぶせた。そこでも、何が持続するのか?何を持続させるのか? との自問が続く。筆者はその中心にあるのは人であり、社会であると考える。星野光雄教授を代表者とする当研究班は、“セム系部族社会の盛衰をはすかいに眺めながら”シリア東部ユーフラテス河中流域ビシュリ山系における自然環境の変遷を、環境地質学、環境化学、並びに炭素14年代に基づいて解明することを目的としている(星野:ニュースレターNo.1)。筆者は、その研究の中に環境学研究科の“学”を導く光明が見いだされないかと考えている。

 筆者は、これまでに月・隕石試料や岩石に含まれる同位体を精密に測定し、この岩石は何億年前に地下深くのマントルから上昇したマグマから作られ、何千万年前に大陸の衝突で変成作用を被った!とか、愛知県東部地域のヒ素の分布は、金やアンチモンの分布と相関が高いので、人為汚染ではなく、自然界の熱水作用で形成されたものだ!などなどの研究を行ってきた。今回の特定領域研究でも気候変動を指示する花粉分析や炭素14年代の測定とともに、そのような微量元素や同位体を用いた研究を進める事はもちろんであるが、本研究の分担を機会にこれまでに試みられることがほとんどなかったであろう調査手法への挑戦を期している。

  20世紀の地球化学における最も大きな業績の一つに、米国アーカンソー大学のPK黒田博士による、原子炉(連鎖核分裂)が天然に存在可能であるとの予言と、アフリカのガボン国におけるその発見が挙げられる。ウランの核分裂は、分裂し易い同位体がそこに乏しくなることと、核分裂の影響を受ける希土類元素の同位体が変化している事から裏付けられる。そしてその核分裂生成物が20億年を経た今なお、そこに濃集していることが、原子力発電による放射性廃棄物を長期にわたり地中に隔離できるという論拠の一つとなっている。

  さて、話は大きく変わるが、皆さんは「ソドムとゴモラ」という映画をご覧になったことがあるだろうか?ずいぶんと昔の映画であるが、今でもテレビで放映されることがある。ストーリーの結末では,砂漠の中に繁栄したよこしまな都市ソドムが神の裁きにより滅ぼされるのであるが、その直前に正直な一家族が都市を脱出する。しかし峠を越える時、都市の快楽に未練が残る一人がソドムを振り返る。燃え上がるソドムの閃光を浴びたその一人は,岩塩になってしまうのである。これは旧約聖書の創世記の一部をもとにした映画である。聖書は、何らかの事実を基にして書かれているという考え(この考えが本特定領域研究は、それにとらわれないとする“聖書考古学”でしょうか?)
からは、ソドムがどこにあったか?とか、都市を滅ぼした光は、断層活動に因るガスの噴出であったかとか、聖書に書かれている硫黄の雨とは、隕石雨の落下であったかとか、さまざまな考えが楽しまれている。その一つに、天然原子炉の爆発(天然ウランが濃縮していた場所に地下水が流れ込み、連鎖反応がおこった? 1999年の東海村JCOの臨界事故に類似)というのもある。峠で振り返った一人は、JCOの青い光に曝されたのだろうか。このような考えの正当性を評価するのは、“その証拠”であろう。上記の仮説は、沢山の欧米の信者によって検証されているに違いない。天然原子炉の爆発がなかった事も、実は調べられている事であろう。筆者は、しかし、これまで取り上げられる事
の少なかった“環境放射能”を指標の一つとしてビシュリ山系における自然環境の変遷を眺めてみようと考えている。

  放射能というと核実験や原発からの漏洩がまず頭に浮かぶが、私たちは常に自然界からの放射能を浴びている。浴びている放射能の1/3は宇宙線によるもので、標高の高い場所ほどその量が多い。あとの1/3は周囲の岩石や土壌にふくまれる天然のウラン、トリウム、カリウムとそれらが放射壊変する途中に出現するラジウムやラドンによる。したがって地質にこれらの元素が多い地方には放射能が多い。残りの1/3は人体に含まれる必須元素のカリウムによっている。日本で放射 能の多い地方は、上記元素を沢山含む花崗岩の多い岐阜県や,広島・岡山県で、逆に少ないのは、火山岩の多い東北地方である。その違いは高々数倍である。パキスタンやブラジルには,100倍以上も放射能が多い地域がある。カリウムはどの地質や岩石にも1〜3パーセント含まれており、大幅な地域変動の原因とはなりにくい。変化の元はウランやトリウムとそれらから作られるラジウムなどの偏在による。放射能の測定は,サーベーメータといってすべての放射能の総量を測る装置が一般的である。しかし、サーベーメータではいったいどの核種の変動により,放射能が増減しているのかがわからない。その峻別が可能なのは,大学のアイソトープセンター等に設置されている半導体検出器を備えた測定装置である。半導体検出器は空調された部屋にあり、重く、壊れ易く,その価格は一千万円を越える。もちろん試料を採集して大学のアイソトープセンターに持ち込んでも測定出来る。しかし,それを目的としてシリアから数百の土壌試料を輸入するのは現実的でない。

  筆者は、原子炉などフィールドでの検査にもちいられる、NaI検出器を備え放射線スペクトルが解析し得る装置がシリアでの調査に最適ではないかと考えた。多方面から検討の結果C社の測定器が最適であると見られた。しかし、この測定器は原子力関係の研究にも転用できるものであり、その製造国からシリアで計画中の本研究と装置の使用目的についての詳細なレポート(英文)を求められた。
10月の申請から待つこと4ヶ月、数度の質問に答えながら、この2月18日にやっとシリアへの持ち出し許可と装置を手にする事ができた.このニュースレターに間に合わせるべく得たのが下記の放射線スペクトルである(図1)。昭和35年頃建築された名古屋大学理学部A館玄関内と昭和44年頃建築された理学部E館玄関内での測定結果である。ピークの大きさ自体にも意味があるが、ここでは、相対的な大きさに注目したい。二つの建物の間でカリウムからの放射線に大きな違いは見られないが、トリウムからの放射線はE館で相対的に2倍多い。A館とE館に使われている骨材の違いを反映しているのである。データの重要性は、“どちらが体に良いか悪いか?”などの比較ではなく、地質、骨材についてのフィールド情報が現場で得られるところにある。

  筆者は、この装置をシリアに持ち込めば文明と環境についての新しいデータを、非破壊で手にし得ると確信する。しかし先年、ヨーロッパの調査隊ではGPSが没収され所持者が国外追放になったと聞き、星野調査隊が、空港からビシュリならぬ砂漠の監獄に直行することになったらどうしよう!と案じているこのごろである。
図1 名古屋大学理学部E館(上)およびA館(下)内での環境ガンマ線スペクトル

 どちらも1時間の積算結果。一見両者の差はわかりにくいが、トリウム系列からのガンマ線はE館のほうが2倍ほど多い。建物に使われている骨材の違いを反映していると考えられる。