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文部科学省科学研究費補助金 「特定領域研究」 Newsletter No.2(2006年3月号)より
発掘における考古植物学のススメ 
丹野研一(総合地球環境学研究所)
 西アジアでは世界に先駆けて、農耕をベースにした生業が始まった。また灌漑農業など、世界初の大規模かつ商業的な農業が展開された。狩猟採集をしていた人々が、定住し農耕牧畜を始めた頃には、いったいどのような食物を食べていたのであろう?また農業生産と流通、都市化との関係はいったいどうだったのか?など、植物がキーとなるトピックスは、西アジア考古学にはたくさんある。
 西アジアで作りだされた作物には、コムギ、オオムギ、ソラマメ、エンドウマメ、レンズマメ、ヒヨコマメなどがある。これらは今から約1万年前に、野生の状態から人間が管理する栽培の状態にうつされたと考えられている(ただし決定的な証拠は出されておらず、今後の研究が必要である)。それ以前にはピスタチオやアーモンド、やや少なくエノキ、シソ科Ziziphora属、イネ科植物、それから多種多様の同定不能な小粒マメ類がよく利用されていた。もちろん暖をとるためになどに、木材もたくさん使われた。これらがよく出土することは、長年行われてきた植物研究の結果として、やっとわかってきた。しかしこれらの植物がどのように利用されていたのか、とくに調理はどのようにされていたのか、不明な点は多い。彼らの生活の実像をイメージさせる発掘例は、とても少ないのが現状だ。
 そのなかで、ジェルフェルアハマル遺跡(シリア)の台所(キッチン)は、たいへん貴重な発見例であろう。そこでは紀元前9000年頃に火事が発生し、そのときの状態がそのまま焼け跡となって見つかった。出火時は料理の最中で、シロガラシ類の種子がすりつぶされて団子になった状態で、サドルカーンの上に発見された。シロガラシ類は今日でもおなじみの香辛料マスタードそのものか、その近縁の植物である。紀元前9000年頃に、現在のマスタードづくりとほぼ同じような加工工程が行われていたことは、驚きである。また甘くもなく、栄養が格段に良いわけでもないカラシを嗜好していたという味覚に、親近感がわく。発掘隊長のダニエル・ストゥルーダーは「あのキッチンにはなんでもあった、ただひとつだけないものといったら、料理をしていた女性だけだった」と言っている。作りかけのカラシの団子がサドルカーン上にあったことで、料理という行為が具体的に動いて見えてくるような、興味深い発見だ。
  人間が行動をとるとき、その動機として食糧問題があることは多い。過去に数えきれないほど起こった戦争は、実り豊かな土地を得るための、領土争いであることが多かった。世界一の大国アメリカも、ジャガイモ飢饉のおかげで国を捨てたイギリス人らによって、建国された色合いが強い。遺跡の発掘では、背景の食糧事情を明らかにすることが、遺跡の住人が豊かな暮らしをしていたのか、非常に切迫した環境を生き抜いていたのかについて知る手がかりとなる。逆に生業がわからないと、めぼしいトピックスをつなぎあわせた、偏ったストーリーができてしまう恐れがある。例えば上のアメリカ建国の例でいうと、「アメリカは、列強イギリスが産業革命で力をつけて、順風満帆、意気揚々と海を渡りフロンティアを開拓してできあがった、勝利の国家!」とい
うような一面的な解釈に陥ってしまいかねない。ジェルフェルアハマル遺跡の例でもそうであるように、発掘において植物調査があるのとないのでは大違いのことが実際にあるので、発掘にはぜひとも植物調査を加えてほしいものだと思う。