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文部科学省科学研究費補助金 「特定領域研究」 Newsletter No.1 (2005年9月号)より
西アジアにおける都市化過程の研究 
研究代表者 常木 晃(筑波大学大学院人文社会科学研究科教授)
 現在、都市の起源として欧米の学界で広く認められているのは、紀元前3,500年頃のメソポタミア・ウルク期の都市遺跡群である。都市の出現は人間社会のあり方を根本的に変え、これ以降人類の歴史は都市を中心に回っていくことになる。現代でも、都市は政治・経済・文化の発信基地となっており、世界の中心は都市にあるといっても過言ではない。なぜ都市が歴史上に登場してきたのだろうか。この人類史の一大画期をめぐっては、これまでにも様々な仮説が提示され、論議されてきた。環境変化や資源の偏在、戦争、交易など様々な要因が取り上げられてきたが、いまだ十分な回答が得られていないのが現状である。
 私たちは、その大きな原因は、メソポタミアにおける都市の発生を農耕社会の発展という視点からしか捉えてこなかったことにあるのではないかと考えている。現代のアラブ社会を見ても、二律背反的な世界が実はひとつの社会を形成し、歴史を動かしていることがわかる。都市と砂漠というまったく異なる環境に生きる都市民と遊牧民が、様々な部族社会的ネットワークで結節され、互いに離反集合を繰り返しなが
ら統合的な社会を形成しているのである。これまで都市形成を主題として西アジアでおこなわれた地域研究はかなりの数に上るが、そのほとんどは踏査によって各時期の定住集落のセトゥルメント・パターンを把握し、その変遷データーから都市形成に迫ろうとするものであった。こうした手法では、遊牧社会のような遊動的社会の存在を把握することはできないし、部族社会の形成やその解明についてはほとんど視野
にすら入っていなかった。確かに農耕社会の成立は都市形成の前提となっているが、農耕村落から都市に展開していくためには、部族社会の紐帯が大きな鍵を握っていたと考えられる。そこに遊牧民が介在していた可能性は極めて高い。
 従来、遊牧社会の成立は農耕社会よりも大きく遅れ、都市成立以後に形成されたとみられてきた。また、遊牧社会の都市へのかかわりも、寄生的なものでしかないと片付けられてきた。本研究ではこうした従来の視点を180度転換させ、都市形成に当たって遊牧社会に代表される部族社会が大きな役割を果たしたことを明らかにしていきたい。具体的には、農耕集落と遊牧社会の中の部族性を抽出し、部族性をキーワードとして両者の有機的結合の中から都市形成が起こったことを、実際の考古学的、歴史的、言語学的資料から抽出していく。したがって研究分野は、主に考古学分野および文献学分野の2つからなる。考古学的分野では、特にセム系民族の一大原郷地であるビシュリ山系及びその周辺において、遺跡踏査をおこなう必要がある。遊牧民の残した遺跡を探るとともに、GISなどによる各種地理情報を収集して多様な地図を作成し、新石器文化研究領域および遊牧文化研究領域班の作成した遺跡分布図や遺構図などをプロットしていく。文献学的分野では、主に青銅器時代前期のビシュリ山系を扱った粘土板文書の中にみられる遊牧民関連の記事の抽出とデーターベース化を進める。
 これらの研究が有機的に結合することにより、これまで十分な回答が得られなかった西アジアの都市形成過程に関して、よりダイナミックで新しい仮説を掲示できるものと確信している。そして、その成果は、これまでの農耕社会を中心とした文明史観を大きく転換させるものになると期待している。

北西シリアにある巨大な新石器時代遺跡テル・エル・ケルクの紀元前6500年頃の集落跡